「人違いじゃと言っても通りそうにござらぬようじゃな

「人違いじゃと言っても通りそうにござらぬようじゃな。」薄ら笑いを浮かべたテッフネールは腰の剣をシュルリと柔らかに抜くと、だらりと両手を垂らして斜め下段に構えた。「行くぞ。」ブンっと唸りを上げて、ドルバスの薙刀が横一閃に払われた。岩をも切り裂くかと思えるその一撃を、しかしながらテッフネールは、ふわりっ、と風に舞う木の葉のように躱してしまった。「中々の一撃でござるな。みどもに挑んで来るだけの事はござる。」テッフネールはからかうように言って、ニンマリと笑った。余裕が有り余って体から吹きこぼれ智慧城市でもしまいかという風情だ。焦りを誘おうとするのだろうとドルバスは取り合わず、無言で次の一撃を放った。二撃目、三撃目、唸りを上げてドルバスの薙刀がテッフネールを襲う。だが、テッフネールはふわりふわりと躱し続けた。十数撃躱し続けられ、まるで、掴み所の無い、空気と格闘しているかのような気分にドルバスがなった時、テッフネールがひたと立ち止まり一歩前に出た。「さて、十分攻撃もさせてやった事でござるし、気の毒じゃが、そろそろ死んでもらう事とするでござるかの。」自信たっぷりに言って、ゆらゆらと近づいて来るテッフネール。ドルバスは次の一撃こそ、真っ向ぶち当てて二つに裂いてやろうと身構えた。テッフネールは下段から頭上へと緩やかに剣尖を舞い上がらせた。半円を描く刀の切っ先が白く光って糸を引いたかのように見える。次の瞬間、ドルバスは自分を取り巻く空気が異様に重くなったように感じた。剣を掲げて、さして速くもない足取りでテッフネールが近づいて来る。ドルバスは渾身の力を込めて薙ぎ払おうとした。だが、何とした事であろう。体が全く動かせないのである。まるで自分の手足が消えて無くなってしまったかのような感覚であった。(何だこれは、何かの妖術か。)大いに焦ったドルバスは、一刀両断今にも振り下ろさんと掲げらせたテッフネールのヤイバを見詰めながら、絶望的な思いで斬られる覚悟をした。その時、ドルバスを両断せんとするテッフネールに向けて一本の手裏剣が飛来した。もう少しで、ドルバスを斬殺できるところまで追い詰めたテッフネールであったが、惜し気もなくドルバスを諦め、身を翻して手裏剣を躱した。手裏剣の飛来した向きにテッフネールが目を向けると、今しがた対峙した巨漢ドルバスに比べると重量感に劣り、背も少し及ばないようだが、それでも人並み外れて背の高い若者が、道の脇に避けていた兵士達を掻き分けて出て来るところであった。この場面で出て来る人間と言えば一人しかいない。ハンベエである。豪勇ドルバスには真に気の毒であるが、所詮は前座であった。いよいよ、真打ち登場である。それにつけても秋の空、何に付けてもそれなりに。余りにもタイミングの良すぎるハンベエの登場であった。ひょっとすると、兵士達の陰で成り行きを見守り、出番を待っていたのかも知れない。「そいつは俺の獲物だ。悪いが、手を引いてくれ。ハンベエにそう言われ、ドルバスはその場から離れた。全く自由のきかなかった体は嘘のように元に戻っていた。「ハンベエ、気をつけろ。そいつ妙な術を使うぞ。」離れながら、ドルバスは一言言わずにいられなかった。「分かっている。」低い声でハンベエが答えた。ハンベエはテッフネールがドルバスに施した術を知っていた。師のフデンも使った『金縛り』の術である。残念だが、その術には俺には効かないぜ、とハンベエは腹の中で笑って、テッフネールの正面に立った。「俺がハンベエだ。俺を殺しに来たんだよなあ、テッフネール。殺せるもんなら殺してみなよ。」ハンベエはそう言うと、犬歯を剥き出すようにして、凄みのある笑みを浮かべて見せた。「何だまだ顔にも可愛さの残るヒョッコではござらぬか。」頭から足の先、足の先から頭まで、と上から下までハンベエの姿を透し見るような仕草をしてみせながら、テッフネールが言った。無論、ハンベエの顔に可愛さなど残っていようはずもない。青二才め、と嘲る代わりに言ったのだ。